京阪松ノ馬場駅から徒歩10分 大津市下坂本4丁目9−18。TEL(578)0494 |
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大津市下坂本の松ノ場は通が旧西近江路と交わる四つ辻は、両社の辻と呼ばれ、通りをはさんで北側に酒井神社と南側に両社(りょうしゃ)神社がある。 酒井神社の創建は社伝によると弘仁(こうにん)元年(810)。大きな石から酒が湧きだし、大山咋命(おおやまくいのみこと)だといわれて社を建てたという。叡山焼き討ちで焼失したあと元和(げんな)6年(1620)に広島藩主(はんしゅ)浅野長晟(あさのながあきら)によって再建された。本殿は檜皮葺(ひわだぶ)きの一間社流造(いっけんしゃながれづくり)で、県指定文化財となっている。祭神は大山咋命。 この酒井神社に、現代では珍しくなった「まいどこ祭り」と、正月の「おこぼ神事」が古式どおりに伝承されている。おこぼ神事は、向かいにある両社神社と共通なので次回に紹介するとして、今回は先月22日と23日に行われた「まいどこ祭り」を案内します。 「まいどこ」というのは、お火焚(ひた)き祭に「まいろう」という意味。毎年11月22日午後3時ごろ町内の児童が酒井神社に集まり、年長者の二人が神社にある魔除けの仮面「阿吽(あうん)」の一対の面を顔につけ先頭に立つ。そして児童たちは手に手に御幣(ごへい)をささげて、「まいどこまいどこ わら三把(ば)出さんもんは ツラに毛がいっぱいハヨハヨー」と唱えながら梵音堂(ほんのんどう)の旧社地へ向かう。 そこで楓(かえで)の枝をとり、再び町内を唱え回りながら神社に持ちかえって神前に供える。そして翌日の早朝、社の境内で藁(わら)を焚いて、この行事が終わる。 毎年の「まいどこ」も児童が30人集まって盛況だった。児童の一人に祭りの意味をたずねたら「まいどこは、左義長(さぎちょう)にお参りに行こうということやと、お父さんから聞きました」という。つまり、神を迎えに行く途中に昔は左義長に使うワラを集めて回った行事なのである。京都府南部の正月児童の行事「おんごろどん」に似ている。(1997年12月掲載) |
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