[交通メモ]
延暦寺駐車場で下車し 根本中堂前の石段を 上ってすぐ。 |
|||
天台宗比叡山延暦寺の第三代座主・円仁*えんにん*(七九四−八六四年)の恩人とされる韓国の実力者、清海鎮大使張保皐*チャンポコ*の顕彰碑が大津市坂本本町の比叡山延暦寺文殊楼わきに建立され、一月十三日に除幕法要が行われた。 九世紀に当時の新羅、日本、唐の海運秩序を治めた張保皐は、韓国莞島*ワンド*郡の出身で、唐に渡って軍人として活躍した後、東アジアで横行した海賊に憤慨して帰国。莞島に清海鎮を設置して海賊を掃討、さらにアラビア、ペルシャへと航路を開いて「海上王」と呼ばれた。また、延暦寺の円仁が八三八年(承和五)に入唐し、顕密二教を学んださいに支援、五台山や長安の巡礼を実現させるなど円仁の大恩人とされている。円仁は帰国後、天台教学を大成し比叡山に常行三昧堂*じょうぎょうざんまいどう*などを建立、延暦寺興隆の基礎を確立して、後に諡号*しごう*・慈覚大師*じかくだいし*の名が贈られた。 この円仁の恩人・張保皐の碑は張大使の出身地である韓国莞島郡の関係者が一九九四年の円仁生誕千二百年記念として建立した。顕彰碑は白と黒の御影石製で高さ四・二メートル。台座に亀に似た想像上の動物・贔屓(ひいき)、上部には竜が彫られた石が乗る韓国式のデザイン。碑文には円仁の日記「入唐求法巡礼行記」に張大使に対する感謝の言葉が書かれていることを紹介し「二人の築きあげた深い友情が今後の韓日両国の友好に寄与することを」と結んでいる。 碑の除幕法要には莞島郡(清海鎮)の郡守(市長)ら同郡関係者や延暦寺の僧ら約三十人が出席。読経の後、焼香して碑の完成を祝福。車官薫・郡守は「千二百年の時を経てようやく円仁と張保皐が再会できた」と、いにしえの両国の友好親善に思いをはせていた。(2002年3月号掲載) |
[an error occurred while processing this directive]
COPYRIGHT© 1999-2002 CT-net. All Rights Reserved.
COPYRIGHT© 1997-2002 Nishi Oumi Journal. All Rights Reserved. 歴史散歩の著作権は京都新聞西近江販売所連合にあります。 |