[交通メモ]
JR大津駅から徒歩5分 滋賀県庁の道を隔てた 北西側 |
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それは驚愕顛動*きょうがくてんどう*の一日だった。昭和四十年(一九六五)十月一日午前十一時半。筆者・木越暁(当時、滋賀日日新聞記者)は、交通安全キャンペーンの取材で石山寺門前へ行っての帰り、大津警察署に寄って「滋賀県庁別館が燃えている」と知らされた。 当時、県庁別館は県教育委員会の新館として九月二十八日に完成したばかり。近日中のしゅん工式を控えて、まだ手直し工事中だったが、県教委はひと足早く別館へ移って四階で仕事をしていた。「ボーン」という爆発音とともに四階の部屋から火柱が上がり、みるみる各部屋へ火と煙が広がったという。 あわててカメラを手に火災現場へ。そこには記者室にいた同僚が窓からぶらさがってとどかぬハシゴに足をのばしていた姿があった。その時、炎、煙、熱に追い詰められた教職員の一人が、教育会館側に向かった窓から地上へ決死のジャンプ。まだ何人かが窓枠にぶら下がって助けを待っている。しかし、当時の大津市消防本部には20メートル級の屈折ハシゴ車しかなく、三人が地上に落ちて死亡、一人が重度障害者となってしまった。火災原因は手直し工事中の電気人二人が通電状態のまま作業していてショート、ダクト内を火が走ったものという。 この火災を機に大津市消防本部(現在の市消防局)は高層ビル火災に備えたハシゴ車40メートル級一台、30メートル級二台、それに四署と志賀町に20メートル級五台を常備するようになった。 今年も東京の新宿で高層雑居ビル火災が続き、計四十六人が死亡した。今月中旬から全国で年末年始の火災予防運動が行われる。(2001年12月号掲載) |
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