[交通メモ]
堅田駅から江若バス 葛川坊村下車すぐ TEL. 077(599)2387 |
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天台宗比叡山延暦寺の修行道場として知られる大津市葛川坊村町、葛川寺息障明王院*そくしょうみょうおういん*の信徒総代を五十八代にわたって務める葛野常満*くずのじょうまん*家の住宅と蔵が国の文化財建造物として登録されることが決まった。九月二十一日の文化審議会で答申が決まったもので、近く官報告示される。 葛川の明王院は、毎年七月十六日から二十日まで行われる行者たちの葛川参籠*さんろう*(蓮華会*れんげえ*)と、その中で七月十八日夜、同院本堂で行われる「太鼓まわし」行事で知られている。この行事は明王院を開いた相応和尚*そうおうかしょう*の伝説に基づく。貞観*じょうがん*年中(八五九 ― 七七)葛川の三の滝で修行中の相応和尚が、滝壺*たきつぼ*に不動明王を感得し、歓喜のあまり滝に飛び込んで不動明王を抱き上げたところ、仏体変じて桂の老木となった。相応はその霊木で不動明王を彫り、本尊としてまつったのが明王院の始まり。その三の滝に相応を導いたのが、浄満(常満)と浄鬼*じょうき*(浄喜)の二童子で、その子孫が葛野常満と浄喜の両家。今も両家が明王院の信徒総代として、葛川参籠や太鼓まわしの時、案内役などとして重要な役割を演じる。 このうち明王院の参道前にある葛野常満家の主家は天保年間(一八三〇〜四四年)建築の木造平屋建てで、入母屋造りの瓦棒屋根を持つ。 蔵は一八七三(明治六)年建築の土蔵造り二階建てで、切り妻造りの屋根があり、戸口を格子で囲ってあるのが特徴。両棟とも保存状態が良く内柱などは磨かれて黒光りしているほど。建築当時から外観、内観とも大きな変化がなく、いずれも明王院門前の集落景観に重要な役割をはたしていることから、国指定の文化財建造物となった。(2001年11月号掲載) |
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