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[交通メモ] JR堅田駅からバスで伊香立方面行き、普門で下車5分
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真野にある二カ所の神田神社のうち沢、中、浜、北の氏神が真野四丁目の神田神社で、真野普門の神田神社とともに古代この辺りに住んでいた真野臣(豪族和邇※わに氏の一族)の祖にあたる神がまつられている。毎年五月五日の祭礼が「稚児※ちご祭り」と呼ばれる。特色ある春祭りだ。 この稚児祭りは、氏子の中から選ばれた駒※こまと呼ばれる十二、三歳の少年六人と、二人の稚児が主役。少年は袴※はかま姿で独特の冠をかぶって手に竹のムチを持ち、正午ごろ稚児や榊※さかきと御供※ごくを携えた大人たちと共に行列を組んで神社へ上がる。 神社では本殿前に立てられた長さ二メートルの榊に神移しが行われる。この榊は「神輿※みこし」と呼ばれており、本来の神輿の原型だとされる。その榊への神移しが終わると榊は「ワッショイ、ワッショイ」という掛け声で神社横の馬場にある御供所に運ばれ立てかけられる。 そこから少し離れた通路に沢組の用意した御供などが置かれており、それを六人の駒がてんでに持って御供台の方にわれ先にと走りだす。途中、駒たちは供物を石垣や地面にたたきつけて大あばれ。大人たちはそれを拾って供物台に置くのだが、駒は手にしたムチで供物や供物台をいっそう激しくたたく。大人は見物するだけで制止する権限はなく、駒たちは暴れ放題。 やがて駒たちは供物台をひっくり返してしまうが、この駒が暴れるほど、その年は豊作であるとされる。だから、いつしかこの稚児祭りを、別名「あばれ祭り」と呼び、田植え前の豊作祈願祭だともいう。榊をミコシと呼び、童子の暴れを主役にした、いにしえの伝統行事として伝えられている。(2001年 5月号掲載) |
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