[交通メモ] 堅田駅から徒歩15分。本堅田1-22-30 TEL.077-572-0044。
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真宗中興の祖・蓮如(れんにょ)上人が滞在した大津市本堅田一丁目の浄土真宗本願寺派「本福寺」で毎年三月の第二日曜日(今年は三月十一日)に「蓮如忌」が営まれ、昼食には蓮如粥*れんにょがゆと呼ばれる御斉*おときが出て多くの参拝客でにぎわう。 親鸞上人(しんらんしょうにん)から数えて八代目の本願寺住職になる蓮如上人と堅田・本福寺の付き合いは長い。本福寺の開祖・善道(元・三上神社宮司)は本福寺三代目住職・覚如上人に帰依して寺を建立。善道の孫で第三世の法住*ほうじゅうが近江で精力的な布教を行う蓮如上人と接するうちに堅田の同道場は西近江随一の門徒の拠点となる。法住は寛正六年(一四六五)、比叡山の本願寺弾圧の余波で、蓮如から与えられた「無碍光*むげこう本尊」が奪われると、単身比叡山に登って「無碍光如来」のいわれを説き、名号みょうごうを守った。その後、近江に逃れた蓮如を堅田に招き、応仁元年(一四六七)から約一年間自宅にかくまった。 文明三年(一四七一)、北陸へ旅立とうとする蓮如に法住は堅田で御坊を建てるようにすすめるが蓮如は比叡山を指し「あれが近い」と断ったという。法住は文明十一年(一四七九)蓮如が山科本願寺を創建した年の十二月、八十三歳で没したが、法住の馬場道場は本福寺となり、法住以後の歴代の住持も本願寺の維持に力を尽くした。親鸞絵像などの宝物や歴代住職の記録である「本福寺跡書」「由来記」など貴重な史料が多く残る。 かつて蓮如上人もここで本福寺報恩講を厳修した。今も本福寺の「蓮如忌」(三月第二日曜日午前と午後の二回法要)は、お昼のご膳「蓮如粥」とともに堅田衆に守られ、南無阿弥陀仏の念仏の声が堅田の街に満ちあふれる。(2001年3月号掲載) |
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