この100年、西近江にとって、20世紀最大の出来事は、と問われたら私は躊躇*ちゅうちょなく「江若鉄道と湖西線の開通」を第1位に挙げたい。 湖上交通にとって代わった江若鉄道は大正10年(1921)3月15日、三井寺下から叡山間6キロが開通したあと近江今津まで10年かかって完成し、昭和44年(1969)秋に廃線となるまで22駅51キロをもつ湖西唯一の鉄道として、大きな役割を果たしてきたのである。 「さよなら江若鉄道」。筆者(木越暁)は、昭和44年11月1日、江若鉄道廃線式で浜大津駅を出る最後の列車を見送った。当時は滋賀県の地元紙である滋賀日日新聞社の県政記者。お別れのホームで当時の野崎欣一郎知事が「ご苦労さまでした」とあいさつしている写真。その肩ごしに写真を撮っているのが筆者である。今この写真を見ていると20世紀の歴史の節々で、生き証人となって立ち会ってきたという自負心がわいてくるのである。 このあと、JR湖西線が開通したのは昭和49年(1974)7月20日。皇子が丘体育館で開かれた開通式祝賀会で運輸省の人が、あいさつで湖西線のことを「こさいせん」と発音して失笑をかったのを覚えている。 山科から近江塩津間・21駅74.1キロを結ぶ湖西線が開通したおかげで、西近江は大きく変わった。その第1は、京阪神との距離が時間的にぐんと縮まり、京都、大阪への通勤が可能になったこと。住宅開発が進み、都市化の波が押し寄せてきている。(2000年12月号掲載) |
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