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京阪電車別所駅で下車して南へ |
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大津がかつて「そろばん」の名産地であったことは、あまり知られていない。大津市立歴史博物館が開館10周年記念のミニ企画展として、常設展示場で「宿場と名産展」を開き、大津算盤*そろばんを紹介していたので、隣の三井寺観音堂裏山にある「大津そろばん顕彰碑」とともに訪ねてみた。 大津そろばんは、江戸時代の初め頃から東海道筋にあたる大谷と追分の間の谷間道の両側に大津絵や縫い針、餅と並んで売られていた。東海道名所図絵などには大津の代表的な特産品としてあげられている。その大津算盤を日本で最初に製作したのが、この地に住む初代の片岡庄兵衛だったのだ。 彼は、慶長17年(1612)に、時の長崎奉行長谷川左兵衛藤広の命を受けて長崎へ行き、そこで明の国(中国)の人から算盤をもらい、改良を加えて日本で初めてのそろばんを製造、以降、幕府御用達の算盤師となった。 自宅が東海道筋にあたることや、当時の珠算の中心が京都で、しかも近くに玉の材料(ヒイラギ、ツゲなど)が豊富といった好条件に恵まれ、庄兵衛のそろばんの名は全国に広まった。大津そろばんは竹芯が細く、釘や鋲*びょうを使わず、製法はすべて手回しろくろでの精巧なのが特徴で、安政元年(1854)には、17軒のそろばん業者が繁盛したという。 片岡家は明治20年代まで11代続いたのち廃業、現在、同業の1人だった小島一馬氏宅に古そろばんや、製造道具類が保存されていて昭和54年(1979)大津有形民族文化財に指定された。(2000年6月) |
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