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志賀町和邇*わに中にある天皇神社の祭神は素戔嗚尊*すさのおのみことで、本殿は正中元年(1324)に建造された切妻造り、檜皮葺き*ひわだぶき。この社殿形式は、県内の中世神社建築の中では、近くにある小野篁*たかむら神社と小野道風*とうふう神社と合わせて3棟しかなく、全国的にも貴重な構造だとして国の重要文化財に指定されている。 ここの春の祭典「和邇祭り」は、和邇の「五カ祭」とも呼ばれ、和邇中を中心に今宿、高城、南浜、中浜、北浜各区出身の神役によって行われる。祭りの起源は織田信長の比叡山焼き討ち以降と伝えられ、この時、大津市坂本の日吉大社の神輿が難を逃れて、この和邇地区にきたもので、この神輿の返還を求めて争いが起こったことも記録に残されている。 祭りは、かつて5月8日だったが、勤め人が増えたため最近では5月の第2日曜日に営まれる。例年だと10日前後になるが、今年は最も遅い14日の祭りとなる。今年の祭典は前日の13日夕刻に神輿の宵宮渡りが行われ、本祭りの14日朝5時になると南浜の当家へ稚児5人、付き添いの母親5人、区長1人、氏子総代3人が集まる。 そして午前6時に出発して木元神社で神輿の卯の刻渡りが行われ、神役たちは国道161号線を渡って天皇神社へ。着飾った5人の母親もおこわの入った櫃*ひつぎを持ち、稚児を連れ参宮する。 このあと、大宮、若宮、樹下、木元、三ノ宮の各神社の櫃は拝殿に安置。午後1時から5基の神輿が和邇川の堤防を下り、南浜川尻の御旅所まで神輿を駆けて渡御する。駆け足渡御のいわれも記録に残るが、今は4基の神輿が台車付きで、若衆が最後までかついで渡るのは南浜の1基だけとなった。(2000年5月号) |
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